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一寸法師と「鼻」 [課題―読解]

あるクラスでは、一寸法師を読み解いた翌週、芥川の『鼻』を読みました。
何が共通していて、何が違うか、考えてみようと投げかけ
皆で考えを出し合いました。

「鼻の内供も一寸法師も、圧倒的な違いを生まれた時から持っている。」
ということを言った子がいました。
生まれた時から違いを持つ。
いい着眼点です。
本当はみんながそうなのに、それに気づいていないとか、
目に見える形で違いを突きつけられて生きるとはどのようか、とか、
考えてみたくなります。

「鼻の内供はコンプレックスの自分の鼻自体を短くしようとしたけれど
一寸法師は背を高くするために都に行ったのではない。
直接、何かを直すことをしたか、していないかに違いがある」
という意見も出ました。
人の行動の目指すものの違いが何を生むか。これもテーマとなります。

「同じ」や「違う」を見つけることは、
作文のテーマとなることを見つけることでもあります。
文中には
『ただ人と違うのが嫌というだけで自分の特徴を無くした。一寸ぼうしとは逆に、自分の姿を見ようとしもしないで鼻を短くしたのだと思う。』
とありました。

絵本の読解② 本文の分析 [課題―読解]

途中になっていた絵本の読解。続きです。

あるクラスでは、『おおきな木』の本文読解のために
原文、本田氏による訳、村上氏による訳を用意し、
それぞれが持つ味わいと言葉の置き方について
気が付くことを討論しました。

本田氏の訳は、リズムがあって子どもに親しみやすくなっているとか
村上氏のものは静かな感じで、ゆったりと響いてくるとか
そういったことを気が付くままに述べました。
しかし、なんとなく、ではなく
どの部分のどういった表現が、どのような効果を上げているか、
それは何をねらってのものかを
できるだけ明らかにして述べるようにしてもらいました。

今回は「感想」で終わらないことをねらっての取り組みでした。
ですから、印象の出所を意識することをわざとしてもらいました。
また、3人の言葉は「それしかない」と思って選ばれたものです。
言葉から、表現者の意図やテーマを見抜こうとする姿勢を持ってもらいたいと考え、
できるだけ「一言感想」で終えないように、言葉を継いでもらいました。

討論で出たことは他に、
・原文では、いくら年をとっても the boy と表されている。
しかし、本田氏の訳では、年を取った少年を「男」と表す。
村上氏は「少年」で最後まで通す。
本田氏は読む人(=こども)が混乱しないように大人になった少年は「男」とかえたのか。
・木は 「she」となっている。でも本田氏の訳では、木は男性っぽい。村上氏は女性。
この時代(1976年)の木のイメージは男性?
・なんども繰り返される the tree was happy. 
本田氏は「うれしい」と訳し、村上氏は「しあわせ」。なにをねらう?
うれしい、は気持ち、感情、動き。
しあわせは状態。 何がどう違うのだろう。

そういう話をしているうちに、もう少し奥に入った意見も出てきます。
・これは木と会話しているように感じない。
少年はものを言わぬ木から、自分のほしい言葉や答えを勝手に想像しているように思える。
・ほしいほしいと言うばかりで少年は何も返そうとしない。なぜ?
→返さないといけないの? なぜ返すべきなの?
・この関係は親子の関係? 親は子になんでも与え続ける? 見返りを求めずに?
・少年はなぜ何度も戻ってくる?
・少年は転機の時に帰ってくる。何かを確認するために帰ってくるみたいだ。
・「And the tree was happy...but not really.」
本田氏は「だけどそれはほんとかな」と訳し、村上氏は「なんてなれませんよね」と訳す。
このちがいは?
本田氏は「考えてみてほしい」という読み手へのサイン。
村上氏は、つぶやくよう。
but not really.は無いほうがより考えさせられるように思う。
・しあわせってなんだろう? なにが幸せ?

などなど、いくつも出ました。
このクラスには、小学生から高校生までが参加しています。
小学生だから難しいだろう、高校生だから易しく感じるだろう、
そういったことは全くありません。
参加している高校生からは「年下の人たちの感性の鋭さにびっくりさせられる」という言葉をもらっています。
この読解においても、互いが持つ感性の違いを生かして
幅広い討論ができました。

同年齢の人たちを集めてやるほうが
その年齢の発達に応じた課題が用意できるし、より的確に力を伸ばせるのでは、という
見方もあるでしょうが、
年齢の違いがもたらす気づきや背伸びが
子どもたちを「決められた」方向に向けずに済んでいいように思います。
だから私は、「年齢」によってテーマを選ぶことはしません。
ちなみに先週のこのクラスは、18歳から投票権を得ることを皮切りに、
集団的自衛権とある高校の教科書に載っていた
「である」価値と「する」価値についての文章を絡め、
時事テーマ作文に取り組んでいます。

作文の濃さ・深さはそれこそ千差万別。年齢によりません。
高校生でも、普段の観察力と問題意識がなければ上滑りの文章になりますし
小学生も、学校でやっている「まとめ作文」的なものなら、
「考え深める」取り組みはなされていません。

それを、ぐっと踏みとどまらせて、この教室においては
表現者としてテーマをもって文章に臨むことと
読み手を想定して言葉を選び構成を練ることに
挑んでもらいたいと思っています。

数回だけでは成せぬことです。
成果をすぐに求めず、「今」紙上に刻んだ言葉がその道の途上であると考え
コメントを返したいと考えています。

長くなりました。
次回は、保護者の方からよく質問される
「感想文の本の選び方」について書きたいと思います。


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絵本の読解① 絵と装丁を分析 [課題―読解]

ブログ、作ります! と宣言したものの
先週末は体の調子をなぜか崩して起き上がることができなかった宇野です。
あああ、情けない。

とりあえず、新しいブログの登録はすませましたが
まだお見せできる状態ではないので、こちらは後日。
教室での講座について、先にこちらに書くことにしました。

金曜クラスではシェル・シルヴァスタインの「大きな木」を用いて読解をしました。
前のブログに書いたように、感想では終わってほしくなかったので
今回は
1 絵と装丁を分析
2 本文を分析
3 分析をもとに作文
の流れで授業を行いました。

常々、絵やタイトルからも読解してねと言っていますが
「言う」だけではなかなか実践はできないものです。
ですからちゃんと機会を設けてやってみよう、と考えました。
初回は絵と装丁から。
言葉に気を取られないように、原書を用意しました。

まずは表紙。
そこに描かれているものを見ます。
色と距離と空間、手と顔の表情。構図。見せているものと見せていないものをつかみます。
この絵本をご覧になった方はご存じだと思いますが
鮮やかな緑の装丁の中に、赤いリンゴが一つ、
木の腕のような枝から、まだ幼い少年へと落とされています。
少年の着ているズボンも赤です。赤はそれだけ。他は緑です。
緑と赤という補色の組み合わせ、
木と少年の距離、
木のてっぺんは見せずにいる構図、
これらはもちろん「わざと」です。
「わざと」なのだけれど、普段そんなことは気にしません。
ですからわざと、作者がしている「わざと」の中にどんな意図があるかを考えてみました。

同様に、中のページも見ていきます。
なぜ線だけで描かれているのか(色がないのか)
すべてのページに共通することは何か
ページが進むと何が変化していくか
気がつくことをどんどん言ってもらいました。

背景がないのは、世界が木と少年のふたりだけであることを言いたいからだとか
木には顔がないから枝が気持ちを知らせているとか
(だけどもしこれが日本の作家なら、木は不動で枝で表情を出したりしないと思う、とか)
少年はどのページも上を向いていて、それは二人の関係(木がいつも年上、あるいは見上げる存在)を表しているとか
木の根元の草の茂り具合で人の行き来のなさを示しているとか
木のてっぺんが描かれないのは、少年が木を上から見下ろすことがないからだとか
いつも同じ構図なのは、「変わらない場所」を意味しているとか
そんな意見が出ました。

一つの本を読み解くのに、その1冊を深く掘り下げるのは欠かせませんが
横に広げていくのもよい手法です。
同じ作家の別の作品を持ってきて
どこが同じでどこが違うかと見てみるのもいいですね。
作家の得意な手法が分かりますし、こだわっている点も明らかになります。
今回もシルヴァスタインの他の絵本を用意して、そっとわきに置いておきました。


そしてタイトル。

「The Giving Tree」

これが日本では「おおきな木」になるのですね。
なぜgiving tree がおおきな木、になるのでしょう。
訳者はなにをねらったのでしょう。
ちなみに表紙の絵を見て「男か女か」と尋ねたら、半数に分かれました。
原書では木は「she」とあらわされています。
しかし、本田綿一郎氏訳では男性っぽく木は話し
村上春樹氏訳のものでは女性として描かれています。
同じ本でも、訳す人が違うと印象が変わります。
次回は、原文と訳した文とを見比べてみて
その「差」と、それぞれの意図とをつかむことをしよう、と言って、初回は終わりました。

本を読んだ、と思っても、
それは「ある人の解釈」を通して読んだ、ということかもしれません。
同じ本を原書と翻訳されたもの2種で計3種で読み比べる、
そんなふうに「読む」のもおもしろくはありませんか?
続きは次回に。


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考える手法④ [課題―読解]

さて、残りを一気に!

9 家を構成しているものは何か。
10 人にとって、家がなければならない理由があるとすれば、それは何か。
11 この世の中は仮の住まいだと言った先人は幾人もいるが、その考え方をどう思うか。
12 「私の家」という私有や所有の発想というものがきみにはあるか。
13 一つの家族がなぜ一つの家に住むのだろう。
14 動物の巣と人間の家との共通項と違いを述べなさい。
15 きみは、学校に行くときや旅行に行くとき、家を後にする。そして帰ろうとする。なぜ帰るのか。
16 昨年の地震のときに、多くの人々が家に帰ろうとしていた。それはなぜだと思うか。

これらの問いを見て気づくのは、
・見る方向を変え、何度も定義を考えるよう促している
・子どもたちが思いつくであろうことの「外」にある視点を提示している
・常に相違に着目させている
・人の行動・言動の意味を考えるよう促している
・現実に起きていることに置き換えて考えさせようとしている

教室では、考える手法として、「定義を考える」「差を見る」「対極にあるものを考える」
「人の行動の意味に迫る」「キーワードに付随する動詞を挙げてみる」
「現実の出来事の中に同じようなことがないか探す」
などのことを紹介し、挑んでみるよう働きかけています。

このドリルも、その一環として取り組みました。
しかし、取り組みのねらいは
「すべての問いに、深く鋭い、人をうならせるようなものを答える」
ことではありません。

もちろん、そうであればいいとは思います。
しかし、残念ながら一度や二度の取り組みで、
はっとさせられるものを出し続けられる人は多くありません。
ましてや、日常的に作文に取り組んでいない人、
答えの出ない問いに取り組む経験の少ない人の場合は
定義を追うことで精一杯です。
成果を一気に求めては、伸びるものも伸びないだろう、と思っています。

まずは「答えのないものに取り組む」経験を持つこと。
自分なりに、「定義付け」に取り組んでみること。
その定義に「なぜそう言える? それはどういうこと? 逆ではないの?」と
再検討する癖を少しずつ、つけていくこと。
「考える手法」が自分の手足のように使えるようになること。
そして、答えをすぐに出すのを目指すのではなく
「考えを巡らせる」力を身につけていくこと。

それがねらいです。
最終的には、ドリルにあるような問いを自ら生み出せるようになり、
常に周囲のできごとを「問い」をもった目でみつめながら生きていく力をもってくれれば、
と思っています。

よって、たとえばこのドリルに取り組んで書いた作文が
それほど光るものでなかったとしても、
私は「今回はダメだったね」とは思いません。
「ものの見方」を身につけていくのが挑戦なのです。
「家」以外のテーマに取り組んだとき、
多角的に検討する「問い」を自ら生み出せるようになってほしいのです。
答えの出にくい問いに取り組む経験を積んで、
本質を見抜く訓練や、それを言葉に置き換える訓練に
何度も何度も取り組んでいるうちに、ふっと抜け出る時が来る。
それを待って、働きかけを続けています。

毎回の作品に「よい・わるい」をつけるのは
私はおすすめしません。
作文の場合は、「いつも満点」はありえないからです。
(「いつも全力」はありますけどね)

考えが生まれるとき、大きく成長するときの前には、
いつも沈み込む期間があります。
その沈み込みの期間に
「ウチの子には難しいことをさせすぎているんじゃないか」
「こんなこと、むだなんじゃないか」
「ボロボロだわ、ウチの子の作文・・・」
ってお思いの保護者の方もいらっしゃるようですが
はい、気持ちはわかります。
ご自身のお子さんですもの、心配も期待もしていらっしゃって当然です。

ですが、私は作文指導者なので、
違う視点で見て、言葉をかけています。

作文指導者に必要な資質は
・待てること
・伸びてきた芽を見つけて、本人に具体的に「よし!」と伝えられること
・子どもたちの視点の外にあるものを提示できること
・「あなたの言葉を聴きたい」がはっきりと伝わる姿勢と言葉を持っていること
・「今」だけでなく「未来」を見て、布石となる言葉を投げかけられること
ではないかと思っています。
間違いを正しく見つける目を持っていること、などではありません。

上記のことは、私が常に心がけていることです。
できればここに、作文以外の「専門」があると面白いんですけどね。
置き換えの幅が広がりますから。


「ふ~ん」と納得することや、唯一の答えを出すことの方が多い日常です。
「考えを巡らせる」「無いものを生み出す」機会は、それほどありません。
作文のねらいは、賞を取ること、人に認められることですか?
ちがいますよね。
自分と向き合うこと、
ことばを使いこなす力を持つこと、
誰かに伝えようとする能動的な姿勢を持つこと、
語りたいものを持つこと、
そういったことではないでしょうか。

作文が書けない、という人たちの多くは
語彙が少ないからではなくて、
「考える」ということがどういうことかわかっていない(力がない、ではない)
あるいは、
感覚を言葉に置き換えるときのコツを知らない(力がない、ではない)
場合が多いように思います。

文章はすらすら書けるのに内容はありきたり、という人は
「疑う」「深める」システムが育ちきっていないことが多いようです。
まあ、当たり前といえば、当たり前です。
「書ける」から、必要ないと思ってしまいますもの。
(「それ以上」を求められる機会が少ないですから)


つくづく、言葉は相手がいてのものだなぁと思います。
受け手がいなくては、変化しないですものね。
保護者の方々、
作文は「教える」ものではありませんよ。
「教える・うまく導く」ことを考えて、「家庭で」言葉をかけたら
子どもたちは嫌がります。

「よい受け手」になることです。
子どもたちと同じように、考える手法を使って
「正しい見方」を教えるためにではなく、
「私はどう見るか」を真剣に考えてみることです。
「教える」のではなく、「語り合う」。
それができれば、お子さんたちの語る力を触発できるはずです。
マル・バツをつけないで
語っていることを、見てくださいね。

さて、今週は10月の5週目だったので、授業はお休みでした。
(ちなみに明日もお休みです)
休みだと思って気が抜けたのか、熱っぽくなってしまって
昨日は一日寝ていました。
今日は大丈夫、と思っていたら、ちょっとまたヘンな感じ・・・。
風邪ではないようですけど。疲れでしょうか。

ブログだけは、と思って書きましたが
だんだん支離滅裂になってきてしまったような・・・?
すみませ~~~ん。

今度の日曜は名古屋の単科講座。
今月はキャンセルも出たので、参加者は少なめです。
今からでも受付いたします、
皆さま、ぜひぜひご参加くださいませ! 
「正答のない作文」は底なし沼ですけど、
その「底なし」の感じを一緒に楽しんでしまいましょう~!(熱で浮かれている・・・?)
お待ちしております!!
(ちなみに岐阜の単科は11月11日です!)



 


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考える手法③ [課題―読解]

ああ、早く書くって自分でいったのに、もう週末です・・・。
お待ちいただいていた方がいらしたら・・・すみません! 今、書きます!

で、先回の続きです。

家の定義について考える。
それが最初の一歩でしたね。
ドリルでは、定義について尋ねた後に
「ある場合」を設定して問いかけがなされています。

4 引っ越しの経験があるか。あったらそれについて思いを書いてみなさい。
5 人はなぜ引っ越しをするのか 考えてみなさい。
6 自分の家があるのか、自分の家になっていくのか。君はどう思うか。
7 主人公は、引っ越し先が自分の家として納得できなかったり、なじまなかったりしている。なぜか。
8 また、それはどういうことによって自分の家と誇れるようになったか。

ここには

・「ある場合」を取り上げ(ここでは『引っ越し』)考えを深める
・体験素材を用いてみる・・・ケース分析(自分の感覚)
・他者の言動の分析・・・ケース分析(他者の視点)
・変化に注目・・・なにが・どのように・どうなったのか

というような、「考える」ときにすべきことのいくつかが含まれています。

ものごとを読み解く際、抽象だけでなく具体に引っ張り込んでいくことは大切なプロセスです。
その時に一番用いやすいのが、自身の体験。
「自分」という具体的ケースをまずは素材として扱う。
作文を書くときの常套手段ですね。

上記の問いの中で、ぜひ考えてほしいのが5と6です。
5を挙げると、すかさずこんな答えが返ってきます。

「お父さんの仕事のつごう。」

ここで終わるということは、彼らがいつも主語を「わたし・小学生」にしているということです。
「わたしはこどもなので、家を選ぶことはない。ついていくだけ。」
そういう視点です。
問いの主語は「人は」になっているのに、
「わたし」を主体としたものの見方しかしていません。
その枠を壊す必要があります。

講義ではいつも「人・時・場」を変えて考えろ、と言います。
君は大きくなって、大学生になっても同じ家に住むの?
一人暮らしをしたいといって、出ていく人もいるよね?
結婚してもずっと同じ家? 家族が増えても同じ家?
職を失っても、豪華な家に住み続けられる?
逆に、成功してものすごく稼ぐようになっても、ワンルームに住む?
家の前に大きな道ができて、排気ガスと騒音に悩まされるようになっても、住み続ける?

それにさ、お父さんの仕事の都合って言うけど、どんな家でもいいのではないよね?
新しい家を、どうやって決めるんだろう。
人は何を求めて、何を基準にして、家を選ぶんだろう。
家の場所・サイズ・見かけって何を表す?
家での生き方・住まい方。みんな同じじゃない。
それって一体、何によって決めていくことになるんだろう・・・?

というようなことを、皆に投げかけます。
人はなぜ引っ越しをするのか、という問いの中には
人は(あなたは)自分の生きる場をどのように選ぶか、
人が(あなたが)生きるために譲れないものとは何だろうか、
という問いかけも隠されています。
つまりものを考えるということは、突き詰めていくと
「あなたは、わたしは、どう生きるか」を考えていくことになるのです。

その問いは、Q6の中にもありますね。
「自分の家があるのか、自分の家になっていくのか」
子どもたちはこの問いを、なんとなくシンとした顔つきで受け止めています。
すぐには答えにくい問いだけど、なんだか大事なことを聞かれた、という顔です。

考える、という行為の中には「すぐに答えを出す」ことは入っていません。
ず~っと考え続けていくべき問いもあります。
一生かけて考えていく「命題」を、皆に持ってほしいと私は思います。
宮川先生もきっと、「すぐにわからなくても、いつかわかればいい」と思って
これらの投げかけをしていると思います。

「いつかわかる」という時限爆弾のような本があるのはいいことですよね。
「すぐに・必ず・わかる」ものばかりに触れていては
思考する体力(耐力)はつかないと思います。


主語を変えて(視点を自分から外して)ものごとを見てみること。
「どう生きるか」を自身に問うことが「考える」ことの大本であること。

教室では折に触れ、伝えています。

 ・・・・・・そして、またもや「続きはまた次回に~!」・・・です。
気長にお付き合いいただけると幸いです。


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